詩経『狡童』

「狡童」とは、「ずるい子ども、いたずらっ子」の意味ですが、手持ちの辞書(明治書院新釈漢和)によると「顔は奇麗だがまじめでない子ども」とあります。
白川静詩経』を読んでいると、「狡童」と題された詩がありました。


 彼狡童兮 不与我言兮   かの狡童や われと言はず
 維子之故 使我不能餐兮  これ子(し)の故に われをして餐(さん)すること能はざらしむ
 彼狡童兮 不与我食兮   かの狡童や われと食らわず
 維子之故 使我不能餐兮  これ子の故に われをして息すること能はざらしむ

 *餐する:食事をする


ここでいう「狡童」とはつれない男を指し、この詩の主語も女を想定しているのが一般的のようですが。しかし、狡という字が持つ「顔は綺麗だが」というニュアンスが、なにやら男色を連想させるではありませんか。中国でも昔は男色が異端視されてはいなかったそうです。『戦国策』には国を傾けるほど美しい、王の「側室」も出てきます。

この詩は、民衆歌なので、今で言えば歌謡曲。酒の席で口ずさまれて親しまれたのかもしれません。親しい男に面と向かって歌いからかったとか。

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