ヤグザーンの子ハイイ

男ふたりで旅立つとか、しあわせに暮らすというようなオチの物語は多々あり、「もう鉄板」というべき終わらせかたとおもわれますが、その淵源がなんと12世紀のイスラム哲学的文学にあったと判明しました。
それは、イブン・トゥファイルの『ヤグザーンの子ハイイ』。
ヤグザーンは聞きなれたイスラム的な名前だけど、ハイイっていうのは変わった語感ですね。


無人島で鹿に育てられた少年(男)の物語。
いわゆる貴種流離譚で、身分違いの男を好きになった王女が子どもを産み、秘密がバレそうになるのを恐れて赤ん坊を海に流したという、その子がハイイ。
(人間に育てられていないのに、なぜ名前があるのだろう?)

ハイイは生きていく術を母親代わりの鹿から学び、誰の手も借りずに哲学的な思考をめぐらすらしいのですが、物語のキモは横においといて、問題はハイイに言葉を教えてくれた男との関係です。

絶海の孤島に住んでいたハイイですが、なぜかそのことが近隣の島に知れ渡り、ひとりの男が興味を持った。
彼・アブサールは船と水夫を用意してハイイの住む島にやってきて、ふたりは出会う。
様々な言語に精通していたアブサールだったが、どの言葉もハイイには通じない。
アブサールはハイイに言葉を教えはじめる。ほどなく言語を操れるようになったハイイを連れ、アブサールは故郷の島にもどる。
が、故郷は一変していて、ハイイもそこの住民に失望。ふたりでハイイの育った島にもどって末長く暮らした。

元が哲学小説だし12世紀のものだしということで、現代から見るとおかしなところはたくさんあるようですが、わたしたちから見て共感できるのは、
・俗世に辟易した者は「楽園」に逃避したくなるらしい
・みちづれには、異性ではなく、気心しれた同性の友人が最適
という2点でしょうか。

と、そういえば、こういうかんじ、古代ギリシャっぽいですね。
その精神がペルシャ世界に伝播し、イスラムでも育まれたのかとかんがえれば、なんとなく納得がいきます。


参考文献:『あたまの漂流』中野美代子