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厳媛

神武天皇、即位前紀戊午年九月条、

日向の高天原に降り立った皇孫は、大和の地に入りいよいよ、まつろわぬ者どもを討とうとします。天神(あまつかみ)に祈ったところ、天香山の土を取ってきて厳瓮(いつへ:聖なる酒を入れる土器)をつくり、天つ神国つ神を祀れ、というので、部下を老父老嫗に変装させて敵の支配地にある天香山に遣わました。

 

時に道臣命(みちのおみのみこと)に勅すらく、「今高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)を以て、朕(われ)親ら顕斎(うつしいはひ)を作さむ。汝を用て斎主(いはひのうし)として、授くるに厳媛(いつひめ)の号(な)を以てせむ」

 


道臣命は、大伴氏の祖、日臣命を指すようです。
厳(いつ)は、斎くのことですから、神を祀る巫が厳媛。
「ひめ」と呼んでいるということは、もともと女性が担うようになっていたのでしょう。そのため、男を斎主にする場合でも、称号は変えなかったようですね。
また、平時は男装でも、祭祀のときは女装したのではないでしょうか。
書紀注釈では、戦の最中だったために側近に代替させたとありますが…

神武天皇からの信任も厚く、警護を任されたと言われています(伝説です)
古代史的には大伴氏は軍事を司る氏で、物部氏とともに大連として権勢があり、近衛兵的な役割を果たしていたようです。

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