ヤマトタケルと景行天皇

ヤマトタケル日本武尊、倭建)は景行天皇(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)の皇子です。本名を小碓命(をうすのみこと)。

ちなみに、双子で、兄のほうは大碓命(おほうすのみこと)といいます。

 

古事記熊襲蝦夷平定の物語がとくに知られていて、父天皇に命じられ、東奔西走するさまが、ことに哀れを誘うのですが、日本書紀を読んでいたら、ぜんぜんイメージちがったので、びっくりしました。

 

古事記では、景行天皇小碓命の勇猛さを怖れて、命を遠ざけるために地方につかわした、と記されています。

が、書記では、そういう景行天皇の心情はまったく触れられておらず、ヤマトタケルを後継者と見定め、自分の手足のごとく、派遣しています。タケルが大和にもどる途中で亡くなると、非常に悲しんでいます(地方に出ている間も、毎日そわそわしちゃって落ち着かなかったらしい景行天皇

この扱いの差はどういうこと?とおもっていたところ、岩波文庫の補注にやはり言及されていました。

 

それによると、日本書紀国史であるという性格からして、書紀は、王権による辺境民の征服物語として編集されたのであろう、古事記のほうが実際に伝承された物語を反映させている、ということらしいです。

つまり、古事記のほうが「本当」ということ。

 

わたしは、古事記のほうを先に読んでいたので、父に疎まれつつ、それでも父を慕わずにはいられないヤマトタケルに惹かれてしまいます。

もっとも、書紀のほうの相思相愛?の父子も、決して悪くはない…

 

女装したり、熊襲建に酒宴の席で身体をまさぐられたり、出雲建と一緒に川で水浴びしたりと妖しいエピソードに事欠かないヤマトタケルですが、盲点は父子関係なんだよ〜!とちょっとアピールしておきます♪( ´▽`)