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白髪皇子

漢風諡号清寧天皇
雄略天皇の第三皇子で、生まれながらにして髪が白かったので、白髪(しらか)の皇子(みこ)と呼ばれました。
母は葛城の韓媛(からひめ)で、雄略天皇の妃です。

皇后に子がいなかったので、母の身分が高い皇子は有力な皇位継承者でした。

よって、自動的に次期天皇・太子(ひつぎのみこ)になることが見込まれた皇子なのですが、日本書紀を読んでいると、どうもこの皇子に「幸薄すぎる」感が漂っています。

 

まず、即位して5年も経たないうちに崩御
雄略天皇の治世が、古代にしては長かったので(23年ほど)、そのあとの天皇なら短期もありうる。
でも、生まれたのがおそらく雄略天皇が即位してまもなくのころと推察されるため、30歳を待たずして亡くなったとかんがえられます*1

 

天皇には、その髪の色のせいで(おそらくアルビノ)「霊異(くしびにあやし)」とおもわれてます。単に畏怖されただけじゃなくて、遠ざけられたのではないかと。
雄略天皇自身は、その諡号に恥じない勇猛な人間だったから、真反対の息子は忌避されますよね、普通は。

 

その雄略天皇っていうのが、父允恭天皇が亡くなった直後から、ライバルとなる皇位継承者を続々殺し、敵対する豪族も滅ぼして(妃の出身葛城氏・白髪皇子の祖父)、皇位についてます。
皇位についてからも、このひとはどうも怒りっぽいというか、臣下が気に入らないと難癖をつけて殺していて、「悪いスメラミコト」と天下に言われたり。
雄略天皇を恨んで死んでいった人間数知れず、といったかんじ。

 

その因果か、好色な天皇だったにもかかわらず、子どもが少なく、男は3人しかいません。
白髪皇子・清寧天皇に至っては、「子なし」で皇女(ひめみこ)すらいない。

天皇がめぼしい皇族を殺しまくってしまったので、皇位を継がせる皇子、王(おおきみ)が大和に見当たらなくなるという始末に。
清寧天皇の宮は、信頼できる人間がおらず、さびし〜い宮だったのではないかと想像します。

 

父が惨殺した市辺押磐皇子の皇子ふたりは、庶民に身を落として播磨にいました。
それを必死でさがして、ようやく太子に迎えたのですが、どういう心境だったのかなあとおもっちゃいました。

 

*1:

 母の韓媛(からひめ)は、雄略天皇が即位する前からの妃。白髪皇子はその第一子。よって、雄略天皇崩御時には30歳を超えていたかもしれません。ただ、雄略天皇即位前紀には、葛城大臣が滅ぼされるときに「娘韓媛と邸宅を差し出すので許してください」と懇願していますから(雄略天皇は当然聞く耳持たず)、その後に生まれたという推測も成り立ちます

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